今回も東京モーターショーのプレスデーに参加した。閉幕翌日の自工会発表によると、前回に比べ入場者数は69%増の約130万人だったという。会期が2日増えたことや高校生以下などを無料にしたことを差し引いても、入場者数の下落傾向を大きく反転させ、特に14歳以下の次世代ユーザー層の来場者数を約7割増やしたことについては高く評価していいと思う。
トヨタの、トヨタによる日本のスモールローカルショー
私は毎回、ショー全体の特徴を俯瞰して「表の顔」と「裏の顔」に分けて考えることにしているが、今回の表の顔は「ショー全体のコンセプトである“モビリティと人と社会の未来”に対する一歩踏み込んだ提案の場」であったと思う。その一方で、裏の顔は「小規模で完全なる日本ローカルモーターショー」(今年4月の上海モーターショーに比べれば規模は半分以下の印象)であると同時に、「メーカー各社の“現在位置”を強く映し出す場」であったと感じた。
特に、各社の現在位置に関しては、例えばトヨタ、ホンダ、日産の大手3社に限っても、プレス向け“NEWS”という小冊子に掲載された企業広告のタグラインによく表れている。トヨタは“ここは、未来のプレイグラウンド。未来をもっと遊ぼう”(車を一切登場させずモビィリティ全体にフォーカス)、ホンダは“Human! FIT”(人とクルマのフィットの意味が半分、新型フィットのPRが半分)、そして日産は“排ガスのない世界へ。誰よりも早く、電気自動車に取り組んできた日産”(日産リーフを中心としたEVに100%フォーカス)である。
今回のモーターショー全体のコンセプトをリードし具体的に表現したのは紛れなくトヨタ(とそのグループ各社)であり、従来以上に「トヨタの、トヨタによるモーターショー」の印象が強かった。この傾向は、もちろん企業広告のみならず、各社トップのプレゼンテーションやブース展示コンセプトにも表れており、個々の経営状況等も含め「トヨタの余裕と豊田章男社長の自動車ビジネスの将来への強い危機感」が色濃く出た場になったと言えよう。
モーターショーでの提案をDREAMではなくFUTUREにするために
さて、自動車ビジネスの核となるハードウェアとしての“車”のテクノロジー進化に関しては、いわゆる“CASE”への取り組みが重要であることに全く異論はない。メーカー各社がガチンコの勝負をし、“人と社会”中心の本質的なテクノロジーが厳選されて市場供給されることを強く望んでいる。
ただ、そうした競争成果が市販車にも段階的に搭載されてくるにつけ、反作用として、肌感覚でも“ある不満”が高まってきている気がする。それは“自動車価格の高騰”である。例えば軽自動車であるが、総務省の小売物価統計調査によると、今年7月時点の軽自動車平均価格は10年前の2009年に比べ実に36.3%も上昇しているそうだ。その主たる要因は安全装備充実などとされている。特に、いわゆる「庶民の足」と位置付けられて優遇税制を受け続けている軽自動車のこれほどの価格アップは、本当に市場ニーズを的確に捉えたものなのだろうか?今後CASE対応が本格化すれば、その価格は青天井になる恐れがある。程度の違いはあれ、価格の高騰懸念は他の自動車カテゴリーにも当てはまることに疑いの余地はないと思う。
いい古された話ではあるが、基本の基として重要なマーケティングの4P『Product(製品・商品)、Price(価格)、Promotion(プロモーション)、Place(流通)』の内の、特に重要なPriceに関しモーターショーでは一切触れられてはいない。「モーターショーは夢を語る場だから」として、これまでその重要な要素に積極的に触れずに済ませてきたことは、本当に正しかったのだろうか?
今回のモーターショーのキャッチコピーは“OPEN FUTURE”であり、“OPEN DREAM”ではない。私は、FUTUREとDREAMの違いは「大きな社会課題解消に向けた施策の現実性」にあると考えている。今回の東京モーターショーが掲げた理想的なFUTURE MOBILITY社会を実現する上で、“普及可能なPrice方針を含めた未来社会への提案”がこれから強く求められると感じたのは私だけであろうか。
【注:本ブログ記事は、Next Mobility誌12月号に掲載された熊澤啓三コラム記事を、