クリエイティブ・コモンズ(表示 – 継承)
本誌にコラム執筆を始めて3年目になった。前2年とも年始めの2月号のテーマは、マクロなコミュニケーション戦略の視点から前年の傾向を振り返るものであった。因みに前年2月号のタイトルは“AIコミュニケーションテクノロジーという新潮流”であり、前々年は“米国での対立扇動戦略と日本での無言戦略、対照的な日米コミュニケーション戦略を振り返る”であった。昨2019年についても、その傾向はより深化する形で継続していたと言えよう。
某事件に見られた“毛繕いコミュニケーション”の欠如
昨年発生した数々の社会的な出来事をコミュニケーションの視点で振り返ってみて、個人的に最も衝撃を受け印象に残ったのは、某元トップエリート官僚による息子殺害という痛ましい事件である。事件そのものは言うまでもなく無論許されざる犯罪である一方で、事件に至った経緯や家庭状況が詳らかになるにつれ、家庭内暴力を振るう被害者の親の立場として、加害者にも一定の同情が世間に広がったのも事実であろう。
ある朝の報道系番組でこの事件を詳しく取り上げていたが、ゲストコメンテーターとして登場していた某大学教授による「“毛繕いコミュニケーション”の不足が事件の背景として窺える」という指摘が、私には強く刺さった。その教授は、ひきこもり者支援を行うNPOにも関わっていて、加害者の供述等から明らかになった被害者とのコミュニケーション実態を踏まえ、現場感覚としてそのような指摘をしていた。
“毛繕い”というのは、一義的には動物に幅広く見られる衛生・機能維持を目的とした行動のことであり、動物行動学的には特にサルやネコなどの高等哺乳類では個体間の社会的コミュニケーションの意味合いもあるとされている。イギリスの人類学者ロビン・ダンバー氏他の説によると、人間の会話の起源はサルの毛繕いにあり、いわゆる世間話とか雑談と呼ばれる“毛繕い”的会話は、情報の交換というよりも情緒的繋がりの確認のためのものであるようだ。
件の加害者はそのキャリアや立場上、仕事場などのフォーマルな場面では「トップダウン的」で「超効率的」なコミュニケーションスタイルであったことが容易に想像される。背負っていた重責を担うためにそれはとても重要なことだったであろう。その一方で「問題は、家庭内イシューなどのインフォーマルな状況でもそのフォーマルスタイルで臨んでしまったことだ」とその教授が鋭く指摘していた。この番組を見ていて、正直我が身を深く振り返ってしまった。
また、やや話は逸れるが、昨年アフガニスタンの地で銃弾に倒れた中村哲氏の数々の偉業も、氏の高邁な信念と類まれな行動力に加え、現地人との対話、とりわけインフォーマル場面での“毛繕いコミュニケーション”の徹底があってこそ成されたのではないかと勝手に想像している。
フォーマル場面での“毛繕いコミュニケーション”がより必要になる時代
脳科学者の茂木健一郎氏によると、人間における“毛繕い”とは会話、とりわけ雑談こそが最も効果的で、それはビジネス場面でも個人個人の得意な部分の「掛け算」による「共創」の基盤となりうるとのこと。特に「意見反対派」との“毛繕い”的会話が大切なポイントで、組織としての安全保障と同時にイノベーション喚起には重要な要素と氏は主張している。(2015年2月プレジデント・オンライン記事より抜粋)私も氏の意見に賛成である。
本来の“毛繕いコミュニケーション”はインフォーマル場面を想定したものと考えられるが、職場というフォーマルな場面でもそれが有効という茂木氏の主張は斬新である。やや極端な話にはなるが、コミットメント経営の徹底が主流の現在においてあまり聞かれなくなった自動車メーカーH社発祥とされる“ワイガヤ”も、その要素が多分に含まれていたのではないかと思う。
2019年の流行語大賞は“One Team”になった。ラグビーファンの私に異論は全くないが、その基盤とも考えられる“毛繕いコミュニケーション”を敢えて私の中の流行語大賞に認定したいと思う。
【注:本ブログ記事は、Next Mobility誌2月号に掲載された熊澤啓三コラム記事を、