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戦後最長を記録した安倍政権から菅政権に交替して2ヶ月余経った。「安倍政治の継承」を掲げた新政権であるため、大臣職の多くの主要ポストは留任措置であった。政治的安定という意味で一定の価値は認める。しかし個人的には、長期政権の弊害と言われる「忖度政治」の払拭等を含めて、多くの実力派新顔大臣が誕生するのを期待した。新内閣が国民のために仕事する内閣、いわゆる「仕事師内閣」を標榜するのならなおさらである。正直やや残念であった。
その一方で、日本政府の要の「大臣職」とはどうあるべきかを考えるきっかけになった。一言で言えば、「大臣職」は何のプロフェッショナルであるべきかという素朴な疑問である。本コラムでは、問題提起の意味で「次期経産大臣を豊田章男氏に」というテーマについて考えてみたい。
こうしたことを考えるようになったのは、新型コロナ対策で台湾政府のデジタル担当大臣オードリー・タン氏が脚光を浴びたことが大きい。年齢は30代半ばで、天才プログラマーといういわゆるIT/デジタル分野で特別に秀でた能力の大臣である。タン氏はコロナ禍危機管理上での成果のみならず、台湾の今後の国の有様に大きな影響を与える改革でも様々な成果を出していると聞く。専門スキルの有無・如何に関わらず、選挙で信任を受けたことを求心力に、優秀な官僚を使い尽くして国民に貢献する従来型の大臣スタイルも一つの考え方であろう。その一方で、選挙を経なくても、視野を国や世界基準の政策レベルに広げることで、特定分野に特別な知見・能力や経験を持つ人材が国民に貢献する、新しい大臣スタイルも分野によってはあっていいのではないかと思う。
こうした「新型大臣職」に求められる能力・スキルを以下の6点と考えてみた。①担当領域の歴史と最新動向に精通し、国民の誰しもが認める大きな実績があること、②担当領域内外で日本のみならず世界中でよく知られ、高いレピュテーションとネットワークがあること、③新しい社会像に関して時の政権と同じ方向性の明確な理念と見識があり、中長期的な視点での世界基準の政策立案ができること、④世界トップレベルの地頭集団である日本の官僚組織を正しくマネージし、彼らの能力を最大限に使って着実な戦略実行に繋げられること、⑤過度の官邸忖度は排除でき、個別の政策に関しては内外からの諸干渉に対し是々非々の姿勢を貫ける信念があること、並びに⑥政策立案や決定に関するあらゆる過程の情報公開を徹底できること。因みに、タン氏に関しては項目6の徹底した情報公開でも高い評価を得ていると聞く。
さて、IT/デジタル分野での新型大臣は国民が受け入れ易いと思われる。一方、コロナ禍で大きなダメージを受け、次世代を見据えた改革が急務の日本の「産業界」も実はこうした新型大臣が必要な時期に来ているのではないかと思う。言うまでもなく日本における産業力は国力の基盤であり、また、産業界は今、世界基準のデジタル化武装を含めた極めて革新的な領域でなければならないはずだ。
では、この新型大臣に該当する人材は誰であろうか?理想的には、前記6項目をできるだけ高いレベルで満たす人材であろう。選出の考え方から具体的人選まで様々な意見があろう。しかし、筆者としては現在の日本では豊田章男氏が最適任ではないかと考えている。
これまでの豊田氏のリーダーとしての歩みと現状を見てみると、前記6項目条件の内、前半3項目は間違いなく高いレベルで該当する。世界トップレベルの企業集団を率いて持続的な成長に繋げ、危機管理にも強く、かつ壮大な社会実験的プロジェクトも推進しようとしている。その一方で、後半3項目は正直未知数の部分であるが、項目⑤と⑥はご本人の信念次第であろう。最大の難関は項目④かもしれないが、官僚と同等またはそれ以上レベルの多くの優秀な幹部社員に対するマネジメント実績があるはずだ。
次期新型経産大臣職を一度ご本人にお願いしてみてはどうかと思う。関係者の強力な後押しを受け、早ければ来年の衆院総選挙後にその実現が見られ、驚くべき化学反応が起きることを期待したい。
【注:本ブログ記事は、Next Mobility誌12月号に掲載された熊澤啓三コラム記事を、許可を得て転載したものです】
https://creativecommons.org/licenses/by/2.0/
「こんなに自然災害が多い日本には、怖くてとても長く暮らせない」
これはある時、ビジネス関連の在留資格を持つ外国籍の知人から聞いた言葉である。その本音は、「日本は犯罪も少なくとても安全な国と聞いてやってきたのに、住んでみて正直驚いた」といったところであろう。この知人ならずとも、昨今の自然災害の多さと激甚さ、時としてそれらの複合化には、日本人の私も今後の日本に大きな不安を感じざるを得ない。
防災・備災省”の設置を強く望む
ここ2-3年を振り返っても、日本列島を襲った自然災害の種類は、地殻系の地震や地滑り、火山噴火など、また気象系のスーパー台風、広域・狭域集中豪雨、河川の氾濫、雷雨、竜巻、異常高温など多岐にわたる。加えて、その頻度や被害程度が年々大きくなってきている印象が強い。例えば、地震速報も震度5ぐらいにならないとニュースと感じなくなっており、震度3でも一所懸命危険を伝えようとするテレビ局のアナウンサーが気の毒に思えてしまうほどだ。また、そうしたアナウンサーが「今までに経験したことのない、100年(あるいは50年)に一度の規模です!」「命を守る行動を!」と強い口調で視聴者の注意を促す光景はもうお馴染みで、「ところで、毎年起きる100年に一度の災害とは何だろうか?」と独りごちてしまう時もある。こうした違和感は、日本列島での自然災害の頻度や規模・程度が急速に大きくなってきていて、社会認識と対応システムがそのスピードに追いついて行けていない裏返しではないかと思う。
また、スーパーコンピューターやAIなどの進化に伴い、今後の自然災害発生の予測精度も急速に高まっていると聞く。これはもちろん大歓迎すべきことだが、その一方で問題なのは、激甚化著しい自然災害に対する強靭な“防災・備災”体制のことである。防災・備災体制と言っても、行政レベルのものもあれば、民間や個人レベルのものもあり多岐にわたる。ただ、東日本大震災や新型コロナ感染対策などの経験から一つはっきり言えることは、諸外国に比べ日本人または日本社会は、起きた災害に対しじっと耐え自発的にマナーを守ることに長けていることである。人権を一方的に制限するような法律がなくても、他人を思いやって災害に立ち向かおうとする民間・個人レベルの姿勢と能力は称賛されていい。
しかしながら、それだけに依存して対応できる範囲と程度には自ずと限界があるはずだ。災害の規模や程度が今後予想されている恐ろしいレベルまで甚大化した時は、国家レベルの優れた危機対応システムがないと対応が困難になることは必至である。私は政府に対して、その危機対応システムの構築と展開・運用をプロフェッショナルかつ一元的に司る“防災・備災省”の早期設置を強く望みたい。そして、その省には、人・物・金・情報のすべてを十分に与え、強いリーダーシップを発揮できるようにしてもらいたい。将来にわたって国民の命と生活を守る責務のある政府に、「今やらなければ、いつやるの?」と問いかけたい。
在留外国人にも抜本的な配慮と支援を
さて、こうした防災・備災システムは、何も日本人だけのものではない。現在在留カードを持つ外国人は日本に約300万人に上る。自動車をはじめとする製造業界でも、生産現場や管理・事務職などで多くの外国人が働いている。日本国内の今後の少子化対策のみならず、企業の持続的成長のためにも優秀な外国人にもっと多く来日して働き続けてもらう必要があるはずだ。そうした中、日本の自然災害の一層の激甚化は、外国人の来日促進と日本定着化という重要な課題にとって大きな脅威となろう。
その脅威を少しでも和らげるために必要なことは、今後抜本的に強化すべき日本の防災・備災システムに必ず“生活者としての外国人支援”を柱の一つとして加えることだ。その第一歩は何と言っても1995年の阪神・淡路大震災時の大きな反省点の一つ、日本語が万全ではない外国人を対象とした“情報アクセス環境”の抜本的整備による不便と不安の解消である。この点にも目を向ける政府のリーダーシップに心から期待したい。
【注:本ブログ記事は、Next Mobility誌10月号に掲載された熊澤啓三コラム記事を、
“ゴーンショック”に象徴される経営陣のゴタゴタと経営不振の続く日産自動車が、6月に日本国内市場で新型車「日産キックス」を発表・発売した。需要の伸びが顕著なコンパクトSUV市場における待望の新型車であり、“ポスト・ゴーン&西川”の行方を占う試金石的な戦略車種だと言えよう。
個人的な興味もあり、早速最寄りの販売店で試乗をしてみた。6月24日にウェブ上で行われた発表記者会見での触れ込み通りに、日産独自のハイブリッド型パワートレイン“e-POWER”はレスポンスがとても良かった。さらに、アクセルペダルのワンペダル操作だけで、加速はもちろん減速もコントロール可能な“e-POWER ドライブ”の有用性や、秀逸な最小回転半径の実現など、いわゆる「走る・曲がる・止まる」の基本機能を今風に高いレベルで融合させていると率直に感じた。少なくとも日産が今、持てる商品化技術と知見を結集して開発した新型車であることに疑いはない。日産としては、軽自動車を除けば、日産リーフが登場した2010年以降実に約10年ぶりの新型車である。試乗担当の販売店のスタッフが「これでやっと明るい気持ちで売ることができます。いろいろありましたから」と安堵感一杯に話してくれたのがとても印象的であった。
日産にとって期待の大きいこの新型車キックスだが、商品・マーケティング戦略面ではいくつかリスクを覚悟した思い切った判断が見られる。具体的には、まずパワートレインを“e-POWER”一本に絞ったこと。次に、こうしたタイプのSUVでは当たり前に感じる4WDの設定がないこと。そして、先進運転支援システムの“プロパイロット”が、高速道路での自動運転を事実上可能にする最新型第二世代ではなく、第一世代のものを搭載したことである。これらの判断に共通している点は、いわゆる“選択と集中”であろう。
これらはいずれも、コスト等に目をつぶれば技術的には別の選択肢もあったはずだ。“e-POWER”のみでガソリン車設定がないラインアップには、ノートやセレナで獲得したユーザーからの“e-POWER”評価への自信を窺わせる一方で、特に価格面でユーザーの選択肢を狭めるリスクがある。また、4WD車の非設定は、実用面では北海道などの雪国や寒冷地での限定的な販売障壁にとどまるが、商品ブランディング上は目に見えない影響を受けるリスクがある。さらに“プロパイロット”で最先端仕様の採用を見送った点については、コストの問題以上に「不退転の覚悟のはずの新型車に古い技術を搭載」と言ったややネガティブな印象を持たれるリスクがある。しかし、こうしたリスクを承知の上で、日産復活の象徴になるべき“売れる新型車”としてのギリギリの仕様選択をしたことが感じられる。
これらの点については、件の販売スタッフも内心は心配しているであろうが、それでもとにかく「やっと売れそうな車をメーカーが出してくれた」という喜びが見てとれた。裏返して言えばそれだけ、世界戦略の中で日本市場を軽視してきたメーカーの旧経営陣の方針や、販売現場不在の一連のゴタゴタにウンザリしていたのだろう。
「選択と集中」戦略の徹底に活路
日産キックスは、西川前社長の後を受け継いだ内田社長にとっても、社長就任後初の国内新型車である。内田社長は5月の決算発表と6月の株主総会のいずれでも「ホームマーケットとしての日本市場の重要性」を強調していた。また、今後3年間で“e-POWER”と“EV”搭載の電動新型車を12車種集中投入し、日産車の電動化率を60%まで引き上げると表明している。これらは言い換えれば、日本の重点市場化、SUVなど商品設定の重点化、あるいは“e-POWER”やプロパイロットなど採用技術の重点化など、いずれも経営判断としての「選択と集中」の徹底を決意したことに他ならない。
「選択と集中」は、一義的には耳触りのいい言葉に聞こえるが、実は一歩間違えれば企業規模のダウンサイジングを余儀なくされるハイリスクな戦略でもある。とりわけ3年後までに電動化比率60%という急速な電動化戦略は、市場ニーズが日産の思惑通りに自然拡大しなければ、日産自らが電動化市場を創り出していかなければならない大きなリスクを孕む。内田社長は様々なリスクを承知の上で、こうした戦略に日産の復活を賭けたとも言える。今後の内田社長の経営判断と覚悟に大いに注目したい。
【注:本ブログ記事は、Next Mobility誌8月号に掲載された熊澤啓三コラム記事を、
本コラムが掲載される頃には、新型コロナ禍による日本各地での諸自粛が適正に緩和されているであろう。月並みながら、医療従事者を始めとするいわゆるエッセンシャルワーカーの全ての皆様の献身的な努力と勇気に、心からの感謝と敬意を表したい。翻って筆者自身は、献血の実施や親しい飲食店のデリバリーサービスの利用以外は、家族とともに“巣籠もり”の徹底をしてきたぐらいで、社会的な貢献という意味で申し訳ない気持ちが強い。9年前の東日本大震災時には、3月下旬にいち早く開設された福島県相馬市でボンランティア活動をした。しかし今回のコロナ禍では、感染自体の恐怖に加え、不用意に自分が感染させてしまうことだけは避けるために“自重と自粛”をせざるを得なかった。忸怩たる思いはあるが、これも今回のような感染症対応の特殊性の一面と自分に言い聞かせている。
称賛できる自動車業界の新型コロナ禍への多層的な支援
さて、支援と言えば、1月後半から国内外の自動車業界も業界団体レベルや個別企業レベル、さらには社員個人レベルでの様々な施策を打ち出してきている。その内容も多岐にわたる。定番の義援金の他、マスク、フェイスシールド、防護服といった医療物資の提供と、人工呼吸器や体外式膜型人工肺などの医療機器製造、並びに製造支援など。また、自動車業界らしいと言えば、重症患者搬送救急車両や軽症患者搬送車両、医療従事者向けフードトラックやキャンピングカーなどの製作や提供が特徴的である。さらには、病院向け簡易ベッド台や患者輸送用の陰圧搬送用簡易カプセルの開発・提供なども加わり、いわゆる“医療崩壊”抑止のために大きな貢献をしている。それぞれが持つ既存のノウハウを最大限活用し、人の生命に直結する難易度の高い機械装置等の提供に短期間にチャレンジする姿勢は称賛に値する。
また、こうしたハード面の支援以外にもいろいろ挙げられる。まず、企業ロゴ構成部分を離して表現した“ソーシャル・ディスタンス”啓発活動や、“ステイ・ホーム”啓発動画のアップロードなど人の心に訴求する施策。それ以外にも、自動車会社らしく廉価なカーシェアリングサービスや中古車リースサービスの提供など。さらには自動車業界だけではないが、“新型コロナウィルス感染症対策に貢献する知的財産の一時的開放”措置の実施などがあり、ソフト面の支援も急速に拡大してきている。
自動車業界は新型コロナ禍の影響を最も受けている業界の一つであることは間違いない。今まさに業績の回復や雇用の維持、諸取引先への支援など、本業での課題が山積している状況であろう。そんな中にあっても、今年の秋冬に懸念される新型コロナ禍の第2波、第3波に備え、こうした多くの支援が継続されることを願ってやまない。
トヨタグループの“ココロハコブプロジェクト”に見るCSRの本気度
こうした自動車業界全体としての積極的な諸支援活動の中にあって、国内メーカーではトヨタグループの支援が質・量・スピードいずれの面も群を抜いていると言えよう。それは、同グループの規模が業界最大であるというだけでなく、東日本大震災直後に発足したトヨタ被災地支援プロジェクト“ココロハコブプロジェクト”の存在と、トップ層の理解の下の地道な活動の継続があってこそではないかと思う。
同プロジェクトは、東日本大震災被災地支援に事実上特化した形で多岐にわたる支援活動を展開してきており、昨年11月にも“いわて・みやぎ・ふくしまフェスタ”を開催している。今回のコロナ禍に関しても、同プロジェクトはその活動範囲を拡げる方針を掲げてトヨタグループ支援の母体になっている。今回のコロナ禍対応のように短期間に多層的な支援が必要な状況にあっては、こうした強い求心力を持つ母体の存在は欠かせない。同プロジェクトの存在と活動は高く評価できる。
豊田社長の言葉を借りれば、モビリティの元語“ムーブ”は“動く”という意味の他、“感動を与える”という意味がある。前者が抑制されている今、“支援の先にある危機克服の感動”に向けた今後の地道な継続を期待したい。
【注:本ブログ記事は、Next Mobility誌6月号に掲載された熊澤啓三コラム記事を、
「起こしたことはもちろん悪いが、起こしたことに真正面から立ち向かわずに事態をさらに悪化させることはもっと悪い。こうしたことを過去何年見てきたことか」 本稿脱稿時点ではまだ対応真っ最中ではあるが、新型コロナウィルス感染拡大問題(以下、新型ウィルス禍)のニュースを目にするにつけ、NEWS23のキャスターであった故・筑紫哲也氏の、雪印乳業食中毒事件に対する約20年前のこの厳しい指弾を再び思い出す。
「99%の安心」が「1%の危険」を排除
新型ウィルス禍報道では、時々東日本大震災との比較が見られる。全国一斉休校措置などの国家的危機事案という点で、大震災との比較に異論はない。但し、被災地の住人個人レベルで見れば危機意識の在り方が全く違うようだ。
大震災での被災地住人は誰もが痛みと恐怖を感じ、一致団結して事態の収束に立ち向かい、また苦難は分かち合うという現場レベルでの気運が生まれていた。これは、被災地のほとんどの住人が何らかの痛みを感じ、身の危険や行く末の不安を共有していたからであろう。一方、今の新型ウィルス禍では、身近な人に感染者がいなければ「インフルエンザ並」「感染率や致死率は極めて低い」「感染するのは交通事故に遭うみたいなもの」など、どこか他人事の受け止め方をする人たちも相当割合いるようだ。
これは、今回の新型ウィルス禍を個人レベルでは「99%安心だから大丈夫」と感じるか「1%危険だから不安」と感じるかの心理的個人差によるところが大きいように思う。さらに言えば、「99%安心」が「1%危険」を排除しがちな点が恐ろしい。
少なくとも東日本大震災では、こうした受け止め方の差は大きくなかったはずだ。私の専門領域でもある危機管理的に言えば、個人一人ひとりのリスクは極めて小さくても、集合体としてのリスクとダメージが甚大であれば間違いなく重大危機対応事案である。
特に今回の感染症は無症状患者が感染させる特徴があるとされており、指数関数的に爆発的拡大する恐れがある。本気で早期終息を目指すのであれば、この特徴がもたらす恐ろしさの科学的啓発と反自制行動に対する責任の義務付けは欠かせない。この点が、東日本大震災と比較しての違いであり、今回の感染症対策の最も難しい点の一つといえる。また、この難題を解消できなければ「起きている事態に真摯に立ち向かい、さらなる悪性化を防ぐ」ことなど夢のまた夢といえる。
「木を見て森を見ず」現象の横行を省みる
今回の新型ウィルス禍に見られる上記の傾向は、言わば「木を見て森を見ず」現象と言えよう。また、この傾向は今回のような国家的危機の当局対応サイドにも至るところに見られるようだ。個別具体的な事例の列挙は本コラムの目的ではないので差し控えるが、読者諸氏にも思い当たることが多々あるのではないだろうか。
もう少し正確に言えば、「木を見ずして森を語ろうとする」現象や「森を想像できずに木だけ見て語る」現象などである。最も厄介なのは、その現象を形成する人々は自分がそうだと気付いていない点にある。むしろ「自分はこんなに頑張っている」と思っていることが多い。この特徴は世の常であるため、大事なのはその問題をカバーする優れた対応システムの構築と専門家の配置、並びに実践的な訓練の実施である。一般論として、日本はこうしたシステム構築の必要性に対する認識が甘いと言われる。政府・官公庁のみならず企業活動でも同じことが言える。
やや極端な表現にはなるが、今回の新型ウィルス禍事案は間違いなく「重大な国家安全保障」カテゴリーに含まれると思う。「後手後手」「場当たり」との批判も強いこれまでの政府・当局関係者の対応報道を見るにつけ、危機対応の要である「備え」、すなわち「実践的で専門性の高い対応システム」の欠如は明らかである。国家安全保障は何も軍事的側面だけではないはずだ。「平和ボケ大国日本」の汚名を返上し、今回のような天災をその後に人災化しないためにも、またバイオテロ対策としても、そうした優れた対応システムの一刻も早い構築を強く望みたい。「正しく恐れる」とはこのことだと私は思う。
【注:本ブログ記事は、Next Mobility誌4月号に掲載された熊澤啓三コラム記事を、
クリエイティブ・コモンズ(表示 – 継承)
本誌にコラム執筆を始めて3年目になった。前2年とも年始めの2月号のテーマは、マクロなコミュニケーション戦略の視点から前年の傾向を振り返るものであった。因みに前年2月号のタイトルは“AIコミュニケーションテクノロジーという新潮流”であり、前々年は“米国での対立扇動戦略と日本での無言戦略、対照的な日米コミュニケーション戦略を振り返る”であった。昨2019年についても、その傾向はより深化する形で継続していたと言えよう。
某事件に見られた“毛繕いコミュニケーション”の欠如
昨年発生した数々の社会的な出来事をコミュニケーションの視点で振り返ってみて、個人的に最も衝撃を受け印象に残ったのは、某元トップエリート官僚による息子殺害という痛ましい事件である。事件そのものは言うまでもなく無論許されざる犯罪である一方で、事件に至った経緯や家庭状況が詳らかになるにつれ、家庭内暴力を振るう被害者の親の立場として、加害者にも一定の同情が世間に広がったのも事実であろう。
ある朝の報道系番組でこの事件を詳しく取り上げていたが、ゲストコメンテーターとして登場していた某大学教授による「“毛繕いコミュニケーション”の不足が事件の背景として窺える」という指摘が、私には強く刺さった。その教授は、ひきこもり者支援を行うNPOにも関わっていて、加害者の供述等から明らかになった被害者とのコミュニケーション実態を踏まえ、現場感覚としてそのような指摘をしていた。
“毛繕い”というのは、一義的には動物に幅広く見られる衛生・機能維持を目的とした行動のことであり、動物行動学的には特にサルやネコなどの高等哺乳類では個体間の社会的コミュニケーションの意味合いもあるとされている。イギリスの人類学者ロビン・ダンバー氏他の説によると、人間の会話の起源はサルの毛繕いにあり、いわゆる世間話とか雑談と呼ばれる“毛繕い”的会話は、情報の交換というよりも情緒的繋がりの確認のためのものであるようだ。
件の加害者はそのキャリアや立場上、仕事場などのフォーマルな場面では「トップダウン的」で「超効率的」なコミュニケーションスタイルであったことが容易に想像される。背負っていた重責を担うためにそれはとても重要なことだったであろう。その一方で「問題は、家庭内イシューなどのインフォーマルな状況でもそのフォーマルスタイルで臨んでしまったことだ」とその教授が鋭く指摘していた。この番組を見ていて、正直我が身を深く振り返ってしまった。
また、やや話は逸れるが、昨年アフガニスタンの地で銃弾に倒れた中村哲氏の数々の偉業も、氏の高邁な信念と類まれな行動力に加え、現地人との対話、とりわけインフォーマル場面での“毛繕いコミュニケーション”の徹底があってこそ成されたのではないかと勝手に想像している。
フォーマル場面での“毛繕いコミュニケーション”がより必要になる時代
脳科学者の茂木健一郎氏によると、人間における“毛繕い”とは会話、とりわけ雑談こそが最も効果的で、それはビジネス場面でも個人個人の得意な部分の「掛け算」による「共創」の基盤となりうるとのこと。特に「意見反対派」との“毛繕い”的会話が大切なポイントで、組織としての安全保障と同時にイノベーション喚起には重要な要素と氏は主張している。(2015年2月プレジデント・オンライン記事より抜粋)私も氏の意見に賛成である。
本来の“毛繕いコミュニケーション”はインフォーマル場面を想定したものと考えられるが、職場というフォーマルな場面でもそれが有効という茂木氏の主張は斬新である。やや極端な話にはなるが、コミットメント経営の徹底が主流の現在においてあまり聞かれなくなった自動車メーカーH社発祥とされる“ワイガヤ”も、その要素が多分に含まれていたのではないかと思う。
2019年の流行語大賞は“One Team”になった。ラグビーファンの私に異論は全くないが、その基盤とも考えられる“毛繕いコミュニケーション”を敢えて私の中の流行語大賞に認定したいと思う。
【注:本ブログ記事は、Next Mobility誌2月号に掲載された熊澤啓三コラム記事を、
今回も東京モーターショーのプレスデーに参加した。閉幕翌日の自工会発表によると、前回に比べ入場者数は69%増の約130万人だったという。会期が2日増えたことや高校生以下などを無料にしたことを差し引いても、入場者数の下落傾向を大きく反転させ、特に14歳以下の次世代ユーザー層の来場者数を約7割増やしたことについては高く評価していいと思う。
トヨタの、トヨタによる日本のスモールローカルショー
私は毎回、ショー全体の特徴を俯瞰して「表の顔」と「裏の顔」に分けて考えることにしているが、今回の表の顔は「ショー全体のコンセプトである“モビリティと人と社会の未来”に対する一歩踏み込んだ提案の場」であったと思う。その一方で、裏の顔は「小規模で完全なる日本ローカルモーターショー」(今年4月の上海モーターショーに比べれば規模は半分以下の印象)であると同時に、「メーカー各社の“現在位置”を強く映し出す場」であったと感じた。
特に、各社の現在位置に関しては、例えばトヨタ、ホンダ、日産の大手3社に限っても、プレス向け“NEWS”という小冊子に掲載された企業広告のタグラインによく表れている。トヨタは“ここは、未来のプレイグラウンド。未来をもっと遊ぼう”(車を一切登場させずモビィリティ全体にフォーカス)、ホンダは“Human! FIT”(人とクルマのフィットの意味が半分、新型フィットのPRが半分)、そして日産は“排ガスのない世界へ。誰よりも早く、電気自動車に取り組んできた日産”(日産リーフを中心としたEVに100%フォーカス)である。
今回のモーターショー全体のコンセプトをリードし具体的に表現したのは紛れなくトヨタ(とそのグループ各社)であり、従来以上に「トヨタの、トヨタによるモーターショー」の印象が強かった。この傾向は、もちろん企業広告のみならず、各社トップのプレゼンテーションやブース展示コンセプトにも表れており、個々の経営状況等も含め「トヨタの余裕と豊田章男社長の自動車ビジネスの将来への強い危機感」が色濃く出た場になったと言えよう。
モーターショーでの提案をDREAMではなくFUTUREにするために
さて、自動車ビジネスの核となるハードウェアとしての“車”のテクノロジー進化に関しては、いわゆる“CASE”への取り組みが重要であることに全く異論はない。メーカー各社がガチンコの勝負をし、“人と社会”中心の本質的なテクノロジーが厳選されて市場供給されることを強く望んでいる。
ただ、そうした競争成果が市販車にも段階的に搭載されてくるにつけ、反作用として、肌感覚でも“ある不満”が高まってきている気がする。それは“自動車価格の高騰”である。例えば軽自動車であるが、総務省の小売物価統計調査によると、今年7月時点の軽自動車平均価格は10年前の2009年に比べ実に36.3%も上昇しているそうだ。その主たる要因は安全装備充実などとされている。特に、いわゆる「庶民の足」と位置付けられて優遇税制を受け続けている軽自動車のこれほどの価格アップは、本当に市場ニーズを的確に捉えたものなのだろうか?今後CASE対応が本格化すれば、その価格は青天井になる恐れがある。程度の違いはあれ、価格の高騰懸念は他の自動車カテゴリーにも当てはまることに疑いの余地はないと思う。
いい古された話ではあるが、基本の基として重要なマーケティングの4P『Product(製品・商品)、Price(価格)、Promotion(プロモーション)、Place(流通)』の内の、特に重要なPriceに関しモーターショーでは一切触れられてはいない。「モーターショーは夢を語る場だから」として、これまでその重要な要素に積極的に触れずに済ませてきたことは、本当に正しかったのだろうか?
今回のモーターショーのキャッチコピーは“OPEN FUTURE”であり、“OPEN DREAM”ではない。私は、FUTUREとDREAMの違いは「大きな社会課題解消に向けた施策の現実性」にあると考えている。今回の東京モーターショーが掲げた理想的なFUTURE MOBILITY社会を実現する上で、“普及可能なPrice方針を含めた未来社会への提案”がこれから強く求められると感じたのは私だけであろうか。
【注:本ブログ記事は、Next Mobility誌12月号に掲載された熊澤啓三コラム記事を、
ある日こんな夢を見た。それは近未来の出来事で「天国にいるおじいさんに孫が話しかける」お話である。正夢かどうかは、その時が来るまで誰にもわからない。
おじいちゃんが待っていた免許証要らずの空飛ぶクルマ
おじいちゃん、天国で楽しくやってるかい? おじいちゃんがずっと待ってた「空飛ぶクルマ」が今日、ウチにやってきたよ。
ウチにきた空飛ぶクルマは“QooYou”という名前だよ。“ク-ユー”って読み、漢字では“空遊”って書くんだ。お父さんが“空輸”という意味もあるんだよ、って言ってた。QooYouは3人乗りなんだ。なぜ3人乗りかって?僕もそうだけど、今は一人っ子が当たり前だからだと思うよ。定員が少ないほうが安上がりで作りやすいんだろうね、きっと。
QooYouはいつでも好きな時に乗れるんだ。夜でもね。真っ暗でも大丈夫なのかって?心配しなくていいんだよ。QooYouにはイルカやコウモリのように超音波をキャッチするすごいセンサーがたくさん付いているんだ。話しかけるだけで行きたい所に勝手に連れて行ってくれるよ。QooYouは僕のような子供でも一人で乗れるのかって?それはダメみたい。大人が一人は乗ってる必要があるってさ。でも運転免許証はいらなくて、大人なら何歳でも簡単な講習を受ければ登録証のようなものをくれるんだって。足の悪いウチのおばあちゃんでももちろん大丈夫なんだけど、70歳以上のお年寄りは認知症テストが厳しいみたいだね。
でもQooYouはとっても快適で安全だよ。薄くて軽くてすぐに充電できるバッテリーで飛ぶから静かで維持費も安いしね。少しぐらいの強風ならほとんど揺れないらしい。おばあちゃんが心配している「空酔い」もほとんどしないんだよ。本当にすごい空中制御技術だね。ボディは透明にも不透明にもワンタッチで切り替えられる材料でできてて、おばあちゃんのような高所恐怖症の人でも大丈夫なんだ。僕は空からの景色を見たいから必ず透明にするけどね。
QooYouは車3台分ぐらいの駐機場が必要なんだ。もちろんウチにはそんな広い場所はないから、子供が減って最近廃校になった第七小学校の運動場跡地にできた専用駐機場スペースを借りたんだ。歩いてすぐの場所だから便利だね。そしてね、QooYouは1回の充電で東京から富士五湖まで飛べるんだってさ。飛べる高さは決まっているけど、もう渋滞の心配はいらないね。
政治家の都合で空飛ぶクルマの登場は5年以上も遅れた
パパが言うには、政治家の都合で空飛ぶクルマの登場が予想より5年以上も遅れたんだって。運転免許問題、飛べる高さやエリア問題、駐機場問題、事故が起きたときの責任や保険問題、普及のための補助金問題などが国会でさんざん揉めたからなんだって。僕には難しくて正直良くわからないんだけど、どうも令和のはじめに有名なアナウンサーと結婚してその後親子2代で総理大臣になった人が、去年の冬の大きな選挙で「空飛ぶクルマからあらゆる規制を取っ払う!」を掲げて大勝ちしたから、一気に話が進んだんだってさ。
ところで、QooYouはどこの会社が作ったかって?どこだと思う?おじいちゃんは昔、空飛ぶクルマは外国の飛行機か自動車メーカーのどこかが真っ先に売り出すよ、もし日本のメーカーなら創業家経営者を続けている会社だろう、って言ってたよね。どれもブ-だね。QooYouを作ったのは自動車も二輪車も飛行機もAIロボットも作っている日本の会社だよ。去年まではまったく噂になってなかったけどね。飛行機やAIロボット技術のおかげだね、きっと。パパが言ってた、この会社の創業者の魂が蘇ったって。
あれ、一つ大事なことを聞き忘れたって?ああQooYouの値段のことかな?定価は自動運転車の新車3台分ぐらいだったけど、国が「10万機普及キャンペーン」を始めてくれたおかげで、車1台分ぐらいの補助金が出たからウチでも買えたんだ。でも抽選だったんだよ。当たったのはおじいちゃんのお陰だね、きっと。
【注:本ブログ記事は、Next Mobility誌10月号に掲載された熊澤啓三コラム記事を、
今回は、私の専門分野の一つ“メッセージング”に関する話である。日本国民の関心事の一つである年金問題でまたも大きな出来事があった。俗に言う「年金2000万円問題」である。一連の報道などを見聞きして私は、政府や与党が長年使っている「年金100年安心プラン」というキャッチコピーがとても気になった。
キャッチコピーの本質
「キャッチコピー」とは、訴求したい内容を訴求したい相手に、より強烈に伝え記憶に留めてもらうための有効なメッセージ戦術の一つである。見た瞬間、聞いた瞬間に理屈抜きに「へー」と感じさせるために、技術的には「短いこと」「右脳にも訴求すること」「受け手の共感を呼ぶこと」などの要素が必要とされている。自動車業界では一世を風靡した「いつかはクラウン」というキャッチコピーがその代表格であろう。「年金100年安心プラン」も、そうした技術的要素を上手く織り込んだ優れたキャッチコピーの一つに見える。
但し、キャッチコピーにはそうした技術的側面以前に、大前提として「訴求テーマの本質を正しく表している」ことが重要であることは言うまでもない。そのためには、キャッチコピーで表現している内容が「本質的なエビデンス(証拠)」に支えられているかどうかが重要なポイントになる。「いつかはクラウン」の場合はクラウンが上昇志向の強かった時代の一般消費者にとって、最高級ブランドの一つとして君臨し続けていた。そういう「本質的なエビデンス」に立脚したキャッチコピーだったからこそ、長年大きなブランディング効果を生んできたのである。
それでは「年金100年安心プラン」はどんな「本質的エビデンス」に立脚したものであろうか?ポイントは①100年とは何のことか?②安心とは何のことか?の2つ。どうやらその正解は①100年とは今の年金制度が存続可能期間であり、②安心とは制度が存続すること自体のようである。これは100%政策立案サイドの狙いに立脚したものであり、決して受け手サイドの国民として最も関心が高い「受給期間」や「受給額」という本質に立脚したものではないということだ。極端に言えば、受給額が1円になっても政府的には嘘にはならない。
つまり「年金100年安心プラン」は、メッセージの受け手の「共感を呼ぶ」という技術的要素に欠けているため、そもそもキャッチコピーにはなり得ないはずだが、実はここには巧妙な目眩ましが仕込まれている。それは、受け手の多くが①100歳のことで、②老後の生活資金を保証してくれる、と勝手に認識し共感を呼べるように設計されていることである。今回のいわゆる「年金2000万円」問題がここまで社会問題化した大きな要因の一つとして、この本質を外した“キャッチコピーもどき”の影響もあると私は考えている。
似て非なる言葉: 世論形成、世論誘導、世論操作
歴史的に見ると、洋の東西を問わず権力側は“プロパガンダ”と呼ばれるメッセージ戦術を多用してきた。これは、本質的なエビデンスに立脚したメッセージ戦術による「世論形成」を志向したものでなく、体制維持と自己保身を最大の目的として、都合の悪い重要事実を意図的に隠す「世論誘導」、または重要事実を改竄する「世論操作」に属するものであった。
その視点では「年金100年安心プラン」というキャッチコピーもどきには、少なくとも「世論誘導」を志向する権力側の意図が透けて見える。権力側には、こうした“苦肉の策”に溺れることなく、受け手(国民)サイドに立脚した、堂々としたメッセージングに真摯に取組んで欲しいと思う。また、メディアには受け手サイドのリテラシー強化に寄与する視点でのキャッチコピー報道を心掛けてもらいたい。
さて、自動車業界でも、広告宣伝や広報において企業全体または製品・技術・サービスをテーマとしたキャッチコピーを多用している。各社の当面の訴求テーマが自動運転技術や安全技術の先進性にフォーカスされて行くことになるが、法整備状況を踏まえた「本質的なエビデンス」と「消費者ベネフィット」に立脚したキャッチコピーになることを切に願っている。
【注:本ブログ記事は、Next Mobility誌8月号に掲載された熊澤啓三コラム記事を、
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昨年の北京に続き、4月の上海でのモーターショーを視察した。上海訪問は実に十数年振りで、街並みは記憶に全くないほど大きく様変わりしていた。しかし、上海の中心部は東京の近代的なエリアだけを集めたような雰囲気で、外国に来たという感慨が薄いことに逆に今の中国の凄みを感じた。
車の世界最先端市場の中国
前回の北京モーターショーの雑感として昨年6月号の本コラムで書いたポイントは、字義通り「瞬く間」という日本では考えられない程のスピード感で進化している点と、中国自動車市場が「世界“最先端”車種のるつぼ」となる日が目前に迫っているという点であった。今年の上海モーターショーを見て、その思いを一層強くした。
まず先に「“最先端”車種のるつぼ」という点では、中国はEVを始めとする新エネルギー車の開発や商品化が世界で最も進んでいる市場と言って良いだろう。多種多様な中国国産メーカーのみならず、欧米日韓の主要メーカーが中国市場での新エネルギー車の覇権を狙ってその取組を加速させている。その反作用なのか、すでにこの1年でその競争に破れ市場から姿を消したメーカーもかなりあると聞いた。
他方、そうした新エネルギー車への取組みだけでなく、現時点での市販車ボリュームゾーンである(広義の)セダンやSUVに関しても、世界での最新車種ラインナップが中国市場に投入されているようだ。日産ブースが典型的で、新型シルフィーを上海モーターショーで世界初公開し、実車展示に最も力を入れていた。日産のみならず、今回の上海モーターショーは各メーカーの最新モデルの実車展示会という色彩がかなり濃かったように感じた。
また、戻って「瞬く間の進化」という点では、次世代車の開発スピード感よりもむしろ中国国産市販車のデザイン性と品質の高さ、一言で言えば「完成度の高さ」が目を引いた。デザイン性に関しては、世界の一流デザイナーを前面に押し出して売りにしているメーカーも見られ、各ブースには確かに“カッコいい車”ばかりが並んでいた。加えて、機器類の操作性を含めたインテリアデザインや質感もハイレベルで、中国国産車の「安かろう、悪かろう」イメージは完全に過去のものになっている。むろん走行性能は実際に乗ってみないとわからないが、もし東京で試乗できるのであれば一度試してみたいと感じたのも事実である。
「生き残りをかけた本格的競争元年」の中国自動車市場
その一方で今回は特に、同一セグメントに投入されている中国市場での商品モデルの数の多さにも圧倒された。例えば、売れ筋のミッドサイズSUVというセグメントで一消費者が選べる基本商品モデル数は、少なく見積って30以上、数え方によってはその倍以上もあるのではないかと思った。「もし今自分がこのセグメントで一台購入するとしたら何を基準に選ぶんだろうか?」とブースを見ながら真剣に考えてしまった。デザインや性能、品質だけではもう選び切れない程、中国国産メーカーを含めた世界中のメーカーの商品力に差がなくなってきている。週一回の試乗を続けても選ぶのに1年かかり、正直選び切れないと感じるほど投入モデル数が多い。こんなに購入選択肢が多い国は、世界広しと言えど中国だけであろう。
逆に、メーカーの立場で言えば、それほど多くの選択肢の中で最終的に自社ブランドを購入してもらうことは、気が遠くなるほどに大変なことなのだと実感する。中国では一外国メーカーに過ぎない日本ブランドであればなおさらである。
上海モーターショーと時期を同じくして、先日2018年の中国新車販売実績の発表があった。実に28年ぶりの対前年比減である。まだ新車需要2,800万台ものダントツ世界一の市場規模を誇ってはいるが、はっきりと踊り場を迎えたと見られる今、大局的には市場淘汰は既に始まっているのだろう。日本車メーカーを含めた「生き残りをかけた本格的な競争元年」。これまでになく市販実車展示が目立った今年の上海モーターショーの裏テーマはこれだったのではないか。
【注:本ブログ記事は、Next Mobility誌6月号に掲載された熊澤啓三コラム記事を、